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所属:地域創生学部 同学科 地域文化コース 職位:教授,宮島学センター長 学位:博士(文学)
研究室:県立広島大学広島キャンパス1713号室
E-mail:yanagawa@(@の後にを付けて送信ください)
研究内容:https://researchmap.jp/LiuchuanJunko
研究室Web:http://yanagawa2019.sakura.ne.jp/
文学史上、一時代を画する中国3世紀の文学について、当代を代表する文人、魏の曹植の文学作品を精読しながら、この時期の文学が、それ以前の文化的状況から何を引き継ぎ、何を新たにしたのかを究明しています。
中国中世初期における文学の質的転換に関わる研究,漢代宴席文芸と建安文学との継承関係に関わる研究,画像石を媒介とした漢代語り物文芸の復元に関わる研究,漢代五言詩歌の伝播とその文学的昇華の過程に関わる研究,白居易?元稹の交往詩に関わる研究,漢学的視点からの宮島学研究
中国3世紀、三国魏の文学は、それ以前の文学とは一線を画するとされています。ですが、その実相や、そうした特徴が出現した経緯は未だ明らかにはされていません。それは、魏の文学の土台となった漢代の文化的状況が未解明だからです。
私はかつて、魏の文学を特徴づける五言詩の源流を、前漢後期の後宮に探し当て、その生成展開の場を、後漢時代の宴席という場に突き止めて、五言詩という文学ジャンルの本質を歴史的に究明しました。さらに、この漢代の宴席という場に着目し、場を共有する様々な文芸と五言詩歌とが融合して、新たな文芸ジャンルを創出していった過程を明らかにしました。
これらの宴席文芸はすべて、曹植を含む魏の建安文人たちに引き継がれ、知識人の文学として磨き上げられます。ところが、そこから踏み出すものを内在させているのが曹植の作品です。では、それは具体的にどのような要素で、それが生じたのはなぜでしょうか。また、それは続く時代の文人たちにどのような影響を与えたでしょうか。この問いが、目下第一の研究テーマです。
この他、白居易の文学や、漢文学的見地からの宮島学など、縁あって携わることとなった研究も行っています。
正史『三国志』が記す、西暦200年前後の中国は、約400年間続いた古代帝国漢王朝が瓦解し、分裂傾向の強い中世へと移行する時期に当たっています。この激動の時代、人々の関係性や価値観も大きく変化しました。
私が目下取り組んでいる曹植は、そうした状況を切り拓いた魏の武帝曹操の息子であり、文帝曹丕の弟です。彼ら父子の下には第一級の文人たちが集いましたが(建安文壇)、その中で特に抜きんでた存在が曹植でした。
では、曹植の文学は、文学史上どのように位置づけられるでしょうか。また、従前の文学には希薄なその特質はどのようにして形成されたのでしょうか。この考察の土台として、建安文壇に先立つ漢代宴席文芸というものに着目しました。その基礎の上に、今は曹植の作品を精読しています。
曹植作品に限らず、中国文学全般、その読解には時間がかかります。すぐに目に見える成果が出なくても、その過程を楽しむことができる人は、卒業後、どのような仕事に就いても大丈夫だと言えます。
図書館や美術館といった文化施設で開催される、地域の方々を対象とした中国足彩网などの事業に、中国文学の研究者として関わっていきたいと考えております。前述の漢魏の時代の文学に加え、これまで縁あって携わってきた研究として、唐代の白居易や杜甫の詩と人生、嚴島神社に伝わる舞楽の来源、嚴島八景の形成過程などがあります。こうした経験を活かして、これからも中国足彩网の講師を務めることができれば幸いです。
また、『三国志』の英雄である前述の曹操は、組織のリーダーたる者が備えるべき資質とは何か、力強く示唆してくれる人物です。そのような点で、企業の方々に楽しんでいただける話ができるかもしれません。
中国文学、『三国志』、曹植、建安文学、五言詩、楽府詩